ごきげんよう、という言葉
みなさまこんにちは。
こぎくでございます。
ご訪問ありがとうございます。
あれ?もしかして...
気付けば6月が終わろうとしています?
前回「明日からまた云々...」と書いてから、一気に時間が進んでしまっています(汗)
いつもより早い時間ですが、忘れないうちに投稿しますね。
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お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、前回記事の最後に、「ごきげんよう」と書きました。
この言葉は、今、再放送されているドラマ『花子とアン』の中で、主人公の花子さんがいつも挨拶で使っている言葉です。
ドラマをご覧になっていない方のために、少しだけ背景のご説明を。
花子さんは甲府の貧しい農家の娘であったのですが、縁あって、東京の、良家の子女が集まる女学校で「給費生」として学ぶことを許され、そこで学生時代を過ごしたそうです。
良家の子女ですから、生徒のみなさんはもちろんお淑やかで、清く正しく美しく、使う言葉もそれはもうお上品!
そこでの挨拶が「ごきげんよう」。
花子さんもそこで過ごすうちに、「ごきげんよう」という挨拶が身に付き、山梨の実家に帰った時も、職場に出勤した時も、どこでも変わらず「ごきげんよう」を使い続けていたのでした。
私は、ドラマだし、花子さんの特徴付けとして「ごきげんよう」を多用させているのかな?程度に考えて見ていたのですが、先日再放送されていた回で、その言葉を使う理由が分かりました。
花子さんが給費生であったという出自を持ち出し、「『ごきげんよう』という挨拶が似合わない人もいる」と言った人に職場の上司に対し、花子は次のように返しました。
「『ごきげんよう』は、様々な祈りが込められた言葉だと思います。
人生はうまくいくときばかりではありません。
どうか全ての人たちが、明日も元気に、無事に、放送を聴けますように、という祈りを込めて番組を終わらせたいんです。」
(※劇中で、花子はラジオ番組に出演しており、番組の締めくくりの一言を「さようなら」のみから、「ごきげんよう、さようなら」と変えたい、と申し出たことで、放送局の上役に嫌味を言われたのでした...現代ならとんでもない差別発言ですが...まぁ、時代考証ですので、ここはグッと堪えましょう)
この台詞を聴いた時、激しく心を揺さぶられました...
お恥ずかしながら、「ごきげんよう」の意味を深く考えたことがありませんでした
確かに、「ごきげんよう」の「よう」は、「よく」の活用形だから、元の言葉は「ごきげんよく」ですし、「ごきげんよく」に続く言葉は、「お過ごしください」くらいしか思いつかない…
「ごきげんよくお過ごしください」
機嫌よく過ごせるということは、まず、大前提として、元気で無事にいる、ということですよね。
「お過ごしください」の部分は、言わずもがな、なのか、みなまで言うな、なのか、日本人の気質的なアレで、「ごきげんよう」の部分だけが使われているのかな?と考えます。「さようなら」の語源と似た感じでしょうか?(「さようなら、これでお別れします」から、さようならだけが独立した説ですね)
単に「さようなら」と言っていたラジオ放送の締めくくりを、「ごきげんよう、さようなら」という挨拶に変えたきっかけは、闘病中の息子を持つ母親からの葉書でした。彼女の息子さんは、花子の放送をいつも楽しみに聴いているとのこと。
そして、この少し前、花子たちは、関東大震災を経験し、5歳に満たない愛息を流行り病で亡くし、おまけに、北海道に嫁いだ妹は夫を亡くして婚家との仲が冷えてしまい、逃げるように東京に出て来て、と、花子たちも、市井の人々も、「人生うまくいかない」ことばかり。
放送を聴いてくれている人たちが、明日も元気で無事に過ごせますように、という祈りを込めた「ごきげんよう」だったという訳です。
今更ながら初めてその言葉の意味を知り、深く、温かみのある言葉なのだと味わいながら、自分自身も使ってみることにしました。
とはいえ、声に出して言うのは、さすがに気後れしますので、せめて、ブログをお読みくださる皆様のために、「ごきげんよう」と書いて締めくくることにしたという訳です。
どうか、私の出自がアレだとか、顔に似合わないだとか、そんなことは思わずに、皆さまのご無事をお祈りしていると思ってお読みくださいね。
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御機嫌よう
人と別れるときなどに、相手の健康を祈る気持ちをこめていうあいさつの言葉。
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嗚呼それなのに。
昨日、今日の再放送で、花子さんは「腹心の友」である白蓮さんと絶交することになってしまい、お二人の別れの言葉は「さようなら」「お元気で」だったのでした。。。
そして、戦争が始まり、ラジオの仕事も降りてしまうという。。。
花子さん自身は、ようやく『赤毛のアン』の原書と巡り会えたというのに。。。
明日以降も目が離せません。
こぎく